収束と発散の繰り返しによる進化

人は,その住む場所において,収束と発散を繰り返して進化してきたのではないか。たとえば,農耕が始まってから新大陸発見までが収束期,それ以降は収束と発散を繰り返しているのではないか。今はネットの発達による情報の収束によって,居住地は発散傾向があるのではないか。

ロナルド・コースが唱えた取引費用がある閾知を超えると収束から発散に向かうのかも。

例えば,ライフサイクルのS字曲線という観点も,参加企業数からみると収束と発散の繰り返しだ。

例えば,ITにおいては,まずアイデアが出た揺籃期はいろいろなサービスが乱立するが,次第に3つ以内にまとめられていく。ブラウザ,Officeソフト,検索エンジンSNSなどだ。ITの世界では,収束と発散のサイクルが早くなっている。

グーグルが今行おうとしているのは,情報を限りなく収束させることだ。「すべての情報をJust in Timeでユーザーのもとに届ける仕組み」を作ろうとしている。だが,それは知識ではない。情報をどう利用するかは,ユーザー次第だ。

では,情報が終息した後には何が起こるのか。ほかのものが収束するのか,それとも発散の段階に移るのか。それを考えるためには,何を考えているかを明確にしてから考えてみたい。