お知らせとお願い

諸事情により、はてなBloggerを並列で更新しておりましたが、本日よりBloggerに一本化することに致しました。

RSSリーダなどで登録を戴いている読者の方(もしいらっしゃれば)は設定を変更していただけると幸いでございます。

新しいBlog:hiruwagakusei

今後とも何卒どうぞよろしくお願い申し上げます。

角田泰隆氏講演:「如何に生きるべきか:仏教が説く実践哲学と禅僧道元の人生訓を中心に」


本講演は、2つの気付きを与えてくれた。一つは、仏教の世界観は、世界を「複雑なシステム」として捉えたときに、非常に合致する見立てを与えてくれているということ。もう一つは、禅僧道元の教えと自分が今までいろいろな機会を通じて学んできた自己マネジメントに関するセオリーが非常に似ていることから、何か普遍的な原理が存在するのではないかと気付かせてくれたことである。


1. 世界と言う複雑なシステムと、それを捉えた仏教観

仏教の教えを宗教としてではなく、世界を捉える一つの視座としてみなしたとき、「諸行無常」「諸法無我」「縁起」といった概念は、今自分が勉強している「複雑系」の概念と非常に親和性が高いのではないかと感じた。

複雑系と言うのは、様々な定義が錯綜しているが、概ね以下の特徴を持つシステムの事を言う。
●システムを構成する要素間の単純な相互作用が、全体としてのシステムの複雑な挙動を決定する
●初期状態のわずかな相違が、時間を経てシステムの挙動の大きな違いをもたらす
●そのため、システムの挙動を決める要因をどんどん細分化していき原因と結果を結び付けるような還元主義的な手法では、相互作用を考慮に入れそこなってしまうため、システムの振る舞いを理解し、予測することが難しい

諸行無常」「諸法無我」「縁起」といった事実の捉え方は、まさに上記の考え方と一致しているのではないだろうか。特に「縁起」(現象は無常であり、常に生滅変化するものであるが、その変化は無軌道的なものではなく、一定の条件の下では一定の動き方をするものであり、その動きの法則を縁起と言う)という考え方は、集団というシステムの挙動をある方向に導きたいとなったときに、それをハーネス(harness)するというAxelrodらの考え方と合致していると感じた。


2. 禅僧道元の教えと、自己マネジメントの普遍的な原理

禅僧道元の言葉は、『『禅のすすめ』に詳しいが、本講演の資料に基づき、数点紹介いしたい。

「自分の見方・考え方が正しいのではない」
これは、要するに自分の頭で考えろということ。今の状況が正解であると安穏としていたり、言われたとおりの事だけをやっていては、何も学ばないし、何も成長しない。

「よくよく考えて行動すること」
自分の発言が相手にどのような影響を与えるのか、また相手にどのような反応を求めるのかを考えてから、行動することがコミュニケーションの基本である。

「一つの事に熟達すること」
これはまさに、選択と集中である。

「よい環境を選ぶ」
梅田望夫さんがいっている、バンテージポイントに立つ、ということか。

「内面と外面が一致するように」
七つの習慣でいう、「信頼貯金」に相当する。

「今、ここ、このことを大切にする」
これも、七つの習慣でいう「影響の輪」に集中する、に相当する。

などなど、最後の方はおざなりになってしまったが、道元の教えは禅に限らずいろいろな人が提唱していることであり、普遍的な原理の一部を表しているのではないだろうか。

翻って、自分のことを反省してみると、道元のコトバと自分の今までの経験を結びつけられた、ということは、すべきこと、理想的な状態については、ある程度の理解が進んでいるようだ。今後の課題は、「ではどうすればできるのか」というところだ。

「やろうと思っても、できない」
「でも、できないから、もっとやらないといけない」
「だから、やらないといけないから、やっている」

となるスパイラルを

「大きな目的を達成するためにやっている」
「だから、些細な失敗は、そこから学ぶことはすれど、引きずることはない」
「やりたいことを、自分の頭で考え、追及しているから、自分も満たされ、結果として、何かに役に立つことができる」

という方向に持っていけるよう、方策を探りたい。要は、問題は、理想と現実を結びつける方法論、現実の状態を理想状態にまで至らしめる経路の設計論の構築である。

成長・幸せの複利計算

アル・ゴアの元スピーチライターでベストセラー作家のダニエル・ピンクの最新刊は「Drive: The Surprising Truth About What Motivates Us 」。「Drive」はモチベーション(動機付け)の心理学についてのノン・フィクションです。


「Drive」の肝は、モチベーションには3つの段階があるということです。


―モチベーション1.0(basic operating system):衣食住を満たすための生物としての基本的欲求に対する動機付け


―モチベーション2.0(the carrot and the stick / reward and punishment):ボーナスまたは罰金による金銭的動機付け


―モチベーション3.0(Internal motivation / mastery):人間的成長、知的興奮、社会への貢献などより高い次元での意味付けを持たすことによる動機付け


やる気の正体:ダニエル・ピンク「Drive」
ハーバード大学医学部留学・独立日記

上記ブログで、三つ目のモチベーションを維持し、自己の成長を促す2つの魔法の質問についてのビデオが紹介されていた。

Two questions that can change your life from Daniel Pink on Vimeo.


What's my sentence?

Was I better today than yesterday?


この二つ目はまさに魔法の質問だ。

今日は昨日よりもほんの少し(0.001%)だけよかった(成長した、幸せだった、充実していた)とすると、10年後には38.3倍だけ、20年後には1471倍だけ、今よりも「いい」毎日が送れていることになる。

寝る前の問いかけの習慣をつけてみようか。

Geoge A. Akerlof, Robert J. Shiller [2009] アニマルスピリット-Animal Spirits

経済学の主流ではあまり取り入れられてこなかった、感情・先入観・バイアスによる認知の錯誤がもたらす経済への影響を、具体的な事例をもとに解説したのが本書だ。

本書の中ではアニマルスピリットとして、具体的に以下の5つについて解説している。
・安心、または不安が好不況のブレを加速させる
・公平さが賃金や価格の決定に影響する
・金融制度の進化によって、ときとして腐敗と背信行動が発生し、それを行うことが合理的になる
・貨幣錯覚がインフレやデフレの影響を間違って認識させる
・自分が何者で、何が起こっているのかという感覚は物語として経済で重要な役割を果たす

これらのアニマルスピリットの概念を基似、下記の8つの問いに対して理論的な説明を加えている。

第6章 なぜ経済は不況に陥るのか?
第7章 なぜ中央銀行は経済に対して(持つ場合には)力を持つのか?
第8章 なぜ仕事の見つからない人がいるのか?
第9章 なぜインフレと失業はトレードオフ関係にあるのか?
第10章 なぜ未来のための貯蓄はこれほどいい加減なのか?
第11章 なぜ金融価格と企業投資はこんなに変動が激しいのか?
第12章 なぜ不動産価格には周期性があるのか?
第13章 なぜ黒人には特殊な貧困があるのか?

目次より

一般人が普通に本書を読むと、当たり前のことが延々と書かれていて不思議に思ってしまうかもしれない。

あとがき p.273

世の中で、上記の8つの問いが起こるのは当たり前だろう。だが、なぜ起こるのかに対する理解を深めるのに、本書は役に立つだろう。

松岡正剛 [2000] 知の編集術

本書は千夜千冊で有名な著者の「編集工学」の入門書だ。

●編集とは(p.75)
編纂(compile):
すでに存在する情報同士の相互関係を定義することである。つまり、情報の要約、集束に相当する。

編集(edit):
特定の情報を素材として、自由に他の新しい情報とを関連付けることである。つまり、情報の連想、発散に相当する。


●情報の地と図をつくる(p.28)、情報の分子と分母(p.117)
情報は、「地」と「図」の二つに分けられる。「地」の情報は、コンテキストに相当し、「図」の情報とは、コンテンツに相当する。情報を課題(issue)としてとらえる際には、コンテンツ(例えば、地球温暖化)だけでなく、コンテキスト(例えば、IPCCの虚偽報告)も考慮する必要があるのだ。


●具体的な方法
エディッティング・モードとして著者は以下の6つをあげている。
1) ストーリー性を生かしたダイジェストによる「重点化モード」
2) 論旨のアウトライン(骨組み)だけに焦点を当てた「輪郭化モード」
3) 一枚ないしは二、三枚の図にしてしまう「図解化モード」
4) 論旨の背景となっている考え方との関係を組み込んだ「構造化モード」
5) 別のメディアに変換するための「脚本化モード」
6) ニュースとしてつたえる目的をもった「報道化モード」

また、困ったときのチェックリストとして、具体的な編集技法として64の方法が挙げられている。(p.158)


●学んだことのまとめ
情報を編集・編纂する際には、情報の地(コンテキスト)、と図(コンテンツ)の両方を考慮しなければならない。

山下和也 [2004] オートポイエーシスの世界―新しい世界の見方


オートポイエーシス (autopoiesis) は、1970年代初頭、チリの生物学者ウンベルト・マトゥラーナとフランシスコ・バレーラにより、「生命の有機構成 (organization) とは何か」という本質的問いを見定めるものとして提唱された生命システムの本質に迫ろうとする概念である。

オートポイエーシスWikipedia


本書は哲学者によるオートポイエーシスの入門書だ。前半部では、先入観による誤解を防ぐため具体例を一切抜きにして、オートポイエーシスについて平易な言葉で説明している。後半部では、生命システム、意識システム、社会システムを例にあげ、オートポイエーシスの観点からそれぞれのシステムの「捉え方」を説明している。


オートポイエーシス・システムの基本的な性質(p.31〜)

言葉の定義

構成素:
オートポイエーシスの働き(何かを産出する閉じたプロセスの連鎖)に関与しているもの。オートポイエーシス・システムを通じて、何かを産出したりするもの、或いは産出されたものに相当する。これらはオートポイエーシス・システム自体には所属していないとしている。
構造:
産出プロセスの連鎖が閉じたとき、オートポイエーシス・システムが成立し、そのプロセス全体を「システムの構造」という。
コード:
システムの産出プロセスがどのような構成素を産出するか、というプロセスを規定するルールのこと。

オートポイエーシス・システムとは、構成素を産出するプロセスの連鎖が自己完結している(閉じている・閉域である)構造を持ち、プロセスの連鎖とともにその閉域を適宜変更していくシステムである。そのプロセスはコードによって規定されており、コードは自身の産出物・他のシステム・環境との相互作用によって変化しうる。

具体的な例を挙げると、ある草原の食物連鎖は以下のような閉じたシステムの構造をもつ。

植物が土から栄養を吸収して成長する
→草食動物が植物を食べる
→肉食動物が草食動物を食べる
→肉食動物が死んで、バクテリアが分解し、土に栄養素を付加する

そこでは、外来種の侵入によって閉域(食物連鎖に関連する生物種の範囲)が変化することもあれば、環境変化によって降雨量が変化し、「誰が誰を食べる」というコードを変更させることもある。

オートポイエーシス・システムは次の基本的な4つの性質をもつという。

(1) 個体性
システムはたとえ同種であっても、それぞれ別のものであり、独自のものである。ただし、システムに関連する構成素は固体であるとも、集合体であるともみなせる。たとえば、砂山はそれ自体を個体とみなすこともできるし、砂の一粒一粒を個体とみなすこともできる。

(2) 単位体としての境界の自己決定
オートポイエーシス・システムの産出プロセスの連鎖の各部分を切り分けて考えることはできない。

(3) 自律性
オートポイエーシスが変化は、自身の産出プロセスの結果である。つまり、環境や他のシステムなど、外部から影響を与えることができるのは産出プロセス(の一部分)に対してであり、システムの挙動を変更しようとする外部からの制御は100%の再現性をもつことはできない。

(4) 入力・出力の不在
オートポイエーシス・システムは、自己完結的であり入力と出力という区別をすることは難しい。その理由は三つあり、一つ目は、構成素はオートポイエーシス・システムに属さないという定義があるため、二つ目は、システムの外部入力とシステムの挙動の変化を一対一で対応させることができないため、三つ目は、オートポイエーシス・システムの規定する閉域が変化するため、何が外(入力と出力)で何が内(変換機構)なのかを定義できないためである。


オートポイエーシス・システムとしての社会(p.200~)

はなはだオートポイエーシス・システムの理解が不十分な中で、気づいたことを備忘録的に書き留めておきたい。

ルーマンは、社会システムの構成素を「コミュニケーション」と定義した。つまり、コミュニケーションのネットワークの連鎖そのものが社会であるというのだ。これは、O. Williamsonらの取引費用経済学などの考え方と似ているのではないか。

また、ルーマンは「コミュニケーション」を情報、伝達、理解の三つの選択の連鎖であるとした。これは情報という実体に対して、記号として表出化されたものだけが伝達され、それが解釈項に基づいて理解される、とすると、記号過程(参考:エンジニアのための記号論入門ノート)と対応づけられるのではないか。

また、オートポイエーシス・システムは基本的に制御不可能だが、内部コードが変化しないでいるうちは、そのコードを理解することで外部から意図的な撹乱を加えることで制御可能である、という性質をもつので、周縁制御ならばそのシステムをコントロールできるのではないか。例えば、「生産は管理できても、消費は管理できない」という課題は、「アニマル・スピリットに対して消費を促す」ことで解決できるのではないだろうか。

以上、全くまとまっていないが、備忘録的なので、あしからず。

Paul Krugman [2000] 良い経済学 悪い経済学

本書は、元の題名”Pop Internationalism”のとおり、国際的な経済問題について、非常にわかりやすく解説をしている。あとがきの解説に「経済学を学ぶ目的は“エコノミスト”に騙されないで自分の頭で考える力をつけることである」とあるが、そのための入門書としては、この本は適しているだろう。

誤った常識として本書に挙げられていた例を2つほど紹介したい。一つは、「国と企業はまったく別もので、企業間の「競争」という概念を国家間に適用するのは間違いである」、もう一つは、「日本を含めたアジアの高度経済成長は、持続性のないものであった」というものだ。

1. 企業間の競争と国家間の競争は異なる(第4、8章)

「経済の新しいパラダイムが必要になっている。アメリカがいまでは、本当の意味でのグローバル経済になったからだ。アメリカは生活水準を守るために、厳しさを増している世界市場での競争の方法を学ばなければならない。生産性を向上させ、製品の品質を高めることが不可欠になっているのは、このためだ。高付加価値産業を主体とするものに、アメリカ経済を変えていかなければならない。将来、職を生み出すのは、高付加価値産業である。新しいグローバル経済で競争力を保つ唯一の方法は、政府と産業が新たな提携関係を結ぶことである」
p.168 第8章 大学生が貿易について学ばなければならない常識

このようなフレーズがまことしやかに流布している。しかし、貿易のGDPに対する比率は1%程度にすぎない。クルーグマンはこのような事実に基づき、第4章で、経済学のモデルを用いて、第8章では、非常に平易に説明を加えている。

国家間の「競争」によって、一部の産業は損失を被るが、労働力の流動性によって、相手国に対して「比較優位」にある産業にシフトする。国家の「競争」に勝ち負けはないのである。

結論として、第三世界新興国)の経済発展は脅威ではなく機会である。本当の脅威は、第三世界に対する第一世界の「恐れ」である、と述べている。

2. かつてのアジアの高度経済成長は持続性がないものであった(第11章)

アジアの奇跡と呼ばれる日本のやNIES諸国の高度経済成長は持続性のないものであったとクルーグマンは述べる。経済成長の源泉は二つ存在し、一つは「投入」の増加、つまり雇用の増加、労働者の教育水準の向上、物的資本のストックの増加である。もう一つは、投入一単位当たりの算出の増加である。前者が労働力供給の増加であり、後者が労働の生産性の増加に相当する。

アジア諸国の急速な成長は労働力供給の増加であり、生産性の増加の影響はわずかであったため、次第に減速していく(日本の場合はすでに減速してった)のだ。その影響をグラフで示したものをたまたまTEDで見つけることができた。

Hans Rosling: Asia's rise -- how and when

学んだことのまとめ

冒頭にも述べたことをもう一度繰り返すが、要するに「経済学を学ぶ目的は“エコノミスト”に騙されないで自分の頭で考える力をつけることである」ということなのだ。