ネットをバンテージポイントにする試み−精緻なMBAカリキュラムをネットで編纂するということ

ネットのバンテージポイントとリアルの世界のバンテージポイントでネットのバンテージポイントについてのべたが,それに1点補足したい。情報が集まる場所としてのネットのバンテージポイントは参入障壁が低いが,情報を組み合わせ新しい価値を発信する場所としてのネットは少し参入障壁が高い。
また,ネットが情報発信のバンテージポイントになるのは,リアルの世界でコネクションを築く必要があるのではないか,というのが梅田さんのこのエントリーを書かれた時点の印象だそうだ。

引用<シリコンバレーからの手紙−場所にいっさい縛られないそんな自由を求めて
ネット上のさまざまな人が多くの時間を費やして生み出した情報を、世界中に散らばる仕事仲間たちとともに、迅速にしかも贅沢に摂取し続ける。そしてそこから皆が肝心な部分を抽出し、共有し、思考の刺激剤とする。同時性を必要とする会議などいっさいしない。そんなふうにネット上で共同作業を進めていると、 かなり仕事が進んだと思っても、まだたったこれだけしか時間が経過していないのかと驚くことが多い。
 知的生産という営みにおいて明らかに「時間の凝縮」の萌芽を感じ始めているので、ここを基点にどこまでいけるか挑戦してみたい。
 しかしこれも、リアル世界で一緒に仕事をした経験から生まれた信頼が、私と仕事仲間との間に根ざしているからできること。そう考えることにしよう。たとえそれが若い世代から見れば時代遅れの発想であっても、私たちは私たちの世代なりの、リアルとネットのハイブリッドな強みを極めていこうと思う。
さて,本題に入る。ネットを情報発信のバンテージポイントにするためには,本当にリアルなつながりが重要なのか,実験してみることにした。テーマは,精緻なMBAカリキュラムをweb上で編纂することだ。仕組みがうまければ,wikipediaオープンソースといった規模と意義を持たなくても,ネットを情報発信のバンテージポイントにできると思っている。

なぜこのテーマなのか。理由は二つある。ひとつは自分が必要としているから。もう一つは,自分以外にも必要としている人がいると思われるからだ。また,これには梅田望夫さんの英語圏の「独走」を許す「パブリックな意識」の差というエントリーからも刺激を受けている。

このまま十年が経過すると、ありとあらゆる分野の「学習の高速道路」が英語圏にのみ敷設され、英語圏に生まれ育つことの優位性が今以上に増幅されてしまうのではないかということだ。「学習の高速道路」を構築するためのインフラはもうすべて用意されている。あとは日本語圏に生きる私たち一人ひとりが、日本語圏のネット空間を知的に豊穣なものにしていく決意を持つかどうかにかかっていると思うのである。
そもそも勉強の方法を一から作り上げる苦労は,そこから得られるものには見合わない。だから,みな受験のために塾や予備校へ行き,大学では授業に出るのだ。知識を得たいと思ったときにその方法を一から作り上げる力も必要だが,もうすでに最適に近い(と皆が思っている)答え(各大学のカリキュラムやよいと言われている教科書・参考書)が存在しているなら,作る必要はない。良い方法を共有すればよいのだから。そして,学んだことをいかに用いるか,という点で力を発揮すればよい。そこで,ネット上での知的生産の実験として,また自分を含めそれを必要とする人のために精緻なMBAカリキュラムを作ろうと考えた。

いかにweb上で編纂するかについての詳細は,全くまとまってないので,次エントリーで述べたい。(可能かどうかはさておいて,このエントリーを書いてみることで自分にプレッシャーを与えてみることにする。)

編纂の過程で,自分の内面がどう変化するのか。ネットを通じてどのようなつながりができるのか,はたまた,できないのか。今まで,ネットでのやり取りは,速いが薄いと感じていたが,この感覚が実験の後どうなるのか,などにも注目したい。