現在は本当に情報過多なのだろうか―自発的情報収集が情報の多様性を確保するカギ

情報過多というが,普段何気なくこの言葉を用いる際は,何に比べて多いのかが明確ではない。何に比べて情報が多くなっているかというと,インターネットが発達する以前に比べて,単位時間当たりに入手可能な情報の量が増えたということだ。特に,大量の情報を処理することに慣れていない人たちが,あまりにも多くの情報を処理しきれなくなった経験から「情報過多」という言葉が流行りだしたのだろう。
ここに2つの問いを立てたい。
1.本当に情報過多なのだろうか。
2.情報が自動で秩序付けされるようになると,逆に情報過少に陥る可能性は無いのか

1.本当に情報過多なのだろうか。
ネットが普及する10年前と比べて,私たちが実際に暮らしていく上で必要な情報量が増えているとは思えない。世の中に存在する情報の絶対量が増えているとも思えない。つまり,情報の供給過多に陥っている状態のことを情報過多と呼んでいるようだ。
しかし,実際に処理できないほどの情報に直面しているかというと,そうではない気がする。自分のような学生は昔と同じようにテレビを見て,新聞を見て,ネットをして情報を得ている。
もしかしたら,仕事の現場において情報過多が生じているのかもしれない。自分のインターンの経験から,現在の仕事において情報の大半は電子メールで交換される。その際に自分にとって直近の有用度が低い情報もcc.という形で送られてくる。つまり,情報交換におけるノイズ処理コストが増大しているということはいえるだろう。

2.情報が自動で秩序付けされるようになると,逆に情報過少に陥る可能性は無いのか
グーグルが情報を自動で秩序付けしようとしている。自分に入ってくる情報を自動的に選別し提示してくれるツール(グーグルリーダーやRSSフィード)がある。その状態のまま何の変化も起こさないと,入ってくる情報が限定された分野のものになり,情報の多様性という面で情報過少になりうるのではないか。
自分の経験から言うと,何日か旅行で家を空けた後にたまったフィードは,読まなければいけないという気分になり,どうしてもさっと目を通してしまう。そうなると,余計に自動的に入ってくる情報以外の情報に触れる機会が少なくなる。


結局は,情報検索のコストが減ったと同時に,情報選別のコストが増加しつつあるということだろう。自分の限られた時間の中で,情報の多様性を確保すること,そして必要な情報をいかに選別し,有効に活かすか,が大切になってきている。