所有という幻想−所有権の次に価値とみなされるものは何か

『所有という幻想』池田信夫 blog

資本財に完備市場があれば、設備を企業が所有する意味はなく、必要なときだけ借りて使えばよい。そんなことは普通の資本財では不可能だが、インターネットはそういう世界を実現しつつある。

今後100年を考えると、おそらく近代社会の基本的な枠組である所有権の意味が薄れ、情報資源は必要なときだけレンタルするしくみに変わっていくのではないか。
だから今は、所有権=価格メカニズムという300年ぐらい続いたシステムから、次のシステムへの過渡期だろう。

価値を授受するためのお金の媒体として,今までは所有権が主なものだった。価値がその他と自分との差だとすると,何かを持っていることが,その他と自分を差異化していたのだ。

所有すべきだったものをコストゼロで借りられる仕組みができ,さらにそれを維持するコストもほぼゼロになった場合,所有することは他者との差異化にはならない。価値を代替するものとしてのお金はなくならないだろう。だが,お金がモノや情報を所有するためにはついやされなくなる。となると,価値の向かう先(お金の向かう先)はどこなのだろうか。

この変化は,富を蓄積することが始まった農耕の発明以来の変化なのかもしれない。お金以外の過剰な富の蓄積が他者にとっての意味をなさなくなりえるのだから。

そんななかでも,所有と価値が結びつくものは残るだろう。受け取る側にとっての価値としては,有形,無形なものともにあるものは残るだろう。有形なものとしては,衣食住など所有することと生存が直結するもの。無形なものとしては安心,快適さなどに関連するものだろう。

提供する側としては,上記に挙げた価値を提供することで価値の対価としてのお金を手に入れることができる。しかし,自分という一人の人間はどのような価値を提供できるのだろうか。それは,「自分にしかできないこと」でかつ「人に求められること」だろう。「自分にしかできないこと」の要素としては量と質がある。自分の提供できる価値市場への参入障壁という視点からみると,提供できる量(速さ)は圧倒的な差がないと差別化にはならないため,質で差別化するほうが簡単だ。

では,どのような質で自分を差異化するのか。一つは『アクセスコストを下げた後にくるものは何か―その時自分を差別化できる力とは「ないもの」を見つける力』

で述べた,「ないものを見つける力」だ。他には,人を巻き込める力というのも大きな差異化要素になるだろう。

だが,「人に求められること」で「自分にしかできないこと」はまだはっきりしていない。頭の片隅においておこう。


余談になるが,完備市場という考え方は,ドナルド・コースの取引費用経済学(ここによくまとまっている)とも関連していそうで,もっと勉強しないと。


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『自分を差異化すること』
『アクセスコストを下げた後にくるものは何か―その時自分を差別化できる力とは「ないもの」を見つける力』