若者に付随するリスク―選ばないリスクは大きく,選ぶリスクは小さい


愛読させていただいているkaz_atakaさんのブログから3つの文章を引用(の引用)させていただく

若者にはリスクが ないという人がいる。確かに、持っているもの(主として家族と地位)の大きさからみたら大人の決断におけるリスクの方が若いときのそれに比べ、大きく見えるかも知れない。しかし、残された人生の長さとそこに与える影響を考えると若いときの方が、どうなるか分からない度合いが高く、リスクは大きいのではないか。若いだけに取り返しがつかないほど人生が変わってしまうと言うことがあり得る。

渡米して最初に思ったこと(3) - 若さとリスク



「狭き門より、入れ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこから入っていくものが多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見出すものは少ない」(マタイによる福音書第七章)


「大人たちにほめられるような馬鹿にはなりたくない」
ブルーハーツ
「大人たちにほめられるような馬鹿にはなりたくない」



要するに,若い頃には一歩を踏み出さないリスクはとてつもなく大きく,後で取り戻しが利かないかない。と同時に,一歩を踏み出すリスクは,とてつもなく小さく,後で取り戻しがいくらでも利く。こういうことだろう。

そして,一歩を踏み出す時には,みんなが入る門から入るよりも,みんなが入らない門から入ったほうが,その先に広がっている道は魅力的になりうるのだろう。自分にとっても,社会にとっても。

自分を差異化することでも述べた,人を巻き込む力という視点でも,皆が入らない門から入ると,強い力で巻き込む,巻き込まれる機会に遭遇することが多いだろう。集団が大きくなることはそこに属する個々人の占める割合(重要性?)が小さくなることと言ってもいい。そして,その中での相互作用は薄いものになりかねない。逆に,集団が小さければ,個々の占める役割が大きくなり,役割が明確になると,そこに差異が生まれ,その差異がエネルギーのポテンシャルの差を生み出し,各々の持つ異なったエネルギーが勢いよく流れ始める。

知ったような言葉を並べて,実は中身のないことしか述べられない実力を考えて,もう少し具体的に述べられるよう,インプットとアウトプットを心がけよう。