やりたいことが10個あったとして結局できるのは2つか3つ

なぜできることが2つか3つに限られるのか。それは10000時間の法則に関係があるのかもしれない。もし,10000時間を3年で達成しようとすると,一日約10時間を費やすことが必要だ。だが,なぜ10000時間も費やすことが必要なのだろうか。

知識の習得を(1)調べる (2)理解する (3)生み出す の3段階に分けるとすると,(1)と(2)には最適化の余地があるのではないだろうか。
流鏑馬を5日間で習得するように)

(1)調べる
この段階には,文献や権威のある人から情報を得るための「検索」する段階と,読んだり,話を聞いたりして探し当てた情報を「入力」する段階がある。ジグソーパズルで例えると,ピースを山の中から探す段階だ。

(2)理解する
この段階には,「入力」した情報を過去の自分の知識に「関連付け」する段階と,関連付けた知識を「再体系化」する段階がある。ピースを隙間にはめてみて,周りの色に合うように色を塗る段階だ。

(3)生み出す
この段階では,再体系化した知識をもとに,何か新しいものを生み出す。しかし,(2)と(3)の間には大きな壁がある。ピースを埋める新たな隙間を見つけ,そこにあうピースを創りだす段階だ。空白を定義するためには,全体を定義する必要がある。また,空白が定義されたとしても,何個のピースで埋めるか,どのような形のピースで埋めるかなど,その埋め方は明らかではない。

この3段階のうち,(1)から(2)の「関連付け」までには最適化の余地があるのではないか。たとえば,習得すべき知識が明らかになっている場合,どの論文のどの部分を読めばよいということが提示されていれば,検索コストと入力コストを下げることができる。また,それらを度の順番で読めば理解が容易になるかということが提示されていれば,「関連付け」コストも下げることができる。つまり,だれか一人の人が道を作ってしまえば,それ以後はそのレールの上を歩けばよいのだ。

ジグソーパズルの例えを考えていて,大きな業績を残す人は,みなが「全体」だと思っていた枠組み自体を打ち破る人なんだなと,ふと思った。